アジアカップ制覇!!

BZ198809212004-08-07

とうとう、この日がやってきたって感じだが、静かに起床。
朝食(バイキング)を済ませ、8時30分頃、天安門に到着。開門30分後にしては、ものすごい人の数。手荷物を預けて、赤外線による持ち物検査(カメラ、ビデオ以外はNG)を受け、いざ天安門(15元也)の中へ。印象に残ったのは、2階からの景色、お土産屋、中国の歴史?を紹介したビデオの上映ぐらい。このビデオ、軍隊や戦車等が映し出され戦争や革命について説明しているみたい。お土産屋には、毛沢東グッズが所狭しと並んでいた。当然、買う気にはなれない。それにしても、建造物として大変立派であることはわかるが単なる門にしては、でかすぎるである。
次に、歩いて故宮(60元也)へ。この地は、明清時代約600年間、歴代皇帝が住み政務を執っていただけあって、建造物の数、スケールがすごいのである。そして、めちゃめちゃ広い。出入口は、南門と北門の2カ所で周りは塀で囲まれている。http://www.dpm.org.cn/Japan/c/c1/C3a.htm
1時間30分程見回ったが、半分ぐらい見ただろうか。マジ、歩き疲れた。
お昼は、北京ダック専門店「便宜坊焼鴨店」へ。http://www.btxx.cn.net/zmqyl/corpore/bianyff.htm
北京ダックのハーフ(半人前)を注文したが、店員に飲み物の注文を催促されたので渋々ジュース類でメニューの一番上にあったものを注文。その飲み物は、スイカジュースだった。ぬるくてあまりおいしくない。
テーブルの前で切り分けてくれたホカホカの北京ダックを賞味。皮の部分は、脂が多く好きになれなかったが、身の部分は美味しかった。皮の上に肉、ネギ、キュウリ、味噌を載せ、くるんで食べ、満腹状態に。ホテルへ戻り、仮眠2時間。
17時、ホテルのロビー集合。日本代表のユニホームを着ている日本人15名程。これを見て早速、自分も着替えることに。周りの中国人の視線が痛い。
マイクロバスに乗り込み、決戦の地北京工人体育場へ。
17時30分頃会場の門まで到着したが、開門していない様子で国旗を持った中国サポーターがうじゃうじゃ。この傍にバスを止め、降りるのは危険だということで、人通りの少ない警察署の前で停車。同ツアーの別部隊10数名と合流し、数十m毎に警官が立っている道の側を通って門をくぐった。中国サポーターがじろじろ見ているが危害を加えてくる様子はないが、ドキドキしながら無事、日本人専用入り口に到着。厳重な持ち物検査があり、2カ所目で奥の方に隠していたペットボトルが押収された。大きな日本国旗や日本語で書かれた垂れ幕は、なぜか没収されていた。
日本人用割り当てられた席はなぜか、中国側のゴール後ろ。日本選手の練習風景もろくに見れず、陸上競技場のためゴールまで距離があり、席の傾斜も緩く、あまりサッカー観戦には向かない席であった。中国サポーターは、トランペット等を持ち込んで何やら応援歌を歌い、大盛り上がり。一方、日本サポーターはアウェーの洗礼を感じつつ、モニターを見たり、記念撮影等をし、のんびりムード。写真はその時に携帯で撮った私のへんな顔。
20時のキックオフ間近になり、選手入場。大歓声に包まれ、暫し呆然としているといつのまにか「君が代」の「巌となりて〜」が聞こえてきた。慌てて最後の「苔の生すまで〜」を歌ったがどうも乗り遅れた気分である。また、前の人達が席の上に立って、前が見えなくなったのも腹が立った。人の少ない中国サポートとの境界線近くに移動し、近くに警官が立っているものの、視界には入らなかったので観戦の準備は整った。
立ち上がり、中国陣内に攻め込む機会が多く、日本選手の動きも良いように思えた。
すると前半22分歓喜の瞬間が。中村のフリーキックを鈴木がヘッドで中央に折り返し、福西崇史のヘッドで先制ゴ〜〜〜ル!!ヘディングされたボールがゴールネットに突き刺さる瞬間は、まるでスローモーションのようだ。いきなり「ゴ〜〜ル」と叫んだため、喉が潰れてしまった。
その後、前半31分日本の右サイド深い所で粘っていた加地が抜かれ、中央に低く正確なセンタリングが。この瞬間「やられた」と思ったら案の上、中央で待っていた李明がゴール右隅へ正確に流し込みゴールを許した。このシーンを真後ろから見えたのでゴールの瞬間もまさにスローモーションのようだった。くやしかったが、まだ同点なので落ち着いて見ることができ、前半終了。
場内は同点ということで平穏に過ぎ、後半開始。日本は、遠い方のゴールに攻めていたのでよく見えなかったが、後半20分。
中村の右CKからゴール前に速いクロスが入り、その後ボールがゴールに吸い込まれていく瞬間がはっきり確認でき、大満足。「ゴ〜〜ル」と雄叫びを上げ、周りのサポーターとハイタッチと堅い握手をかわしている自分がいた。その後、中国は選手交代を行い、攻め込んでくる。どうも加地、三都主のところにボールが来ると非常に危ない。それを宮本、田中、中澤がよくカバーしているのがよくわかった(見えた)。そうこうしているとロスタイムに入り、勝利目前で相手ゴール前にボールが放り込まれ、玉田がこれをコントロールし、GKをかわして落ち着いてゴール左側に決めた。これもボールが転がっていくのをはっきり確認できたが、玉田へのパスは誰からだったのかがわからなかった。待望のホイッスルが吹かれ、3度目のアジアカップ制覇!!日本サポーターが喜び爆発、歓喜に酔っている最中、中国サポーターはブーイング。どうやら日本の2点目がハンドだと言っているらしい。ウルトラズの指揮のもと中国語で「中国!!」のコールしたが、中国サポーターには届いていなかったようだ。
22時過ぎ、表彰式が始まったが2位の中国のメダル授与にかかわらず、多数の中国サポーターはいなくなり、会場の照明も消え始めた。日本のメダル授与後、記念撮影が終わると藤田選手を先頭にグランドを囲んでいた広告の板をどけて、日本選手達が日本サポーターの前までやってきてくれて、共に喜びを分かち合い、アジアカップが幕を閉じた。
が、日本サポーターにはまだ試練が続いていた。場外では中国サポーターが暴動を起こしているとの情報がアナウンスされ、2時間程会場内で待たされることに。このときの日本サポーターは疲れ切っていて放心状態の人が目立った。2時間も待たされて、よく暴動にならないものだと感心したほどだった。結局24時30分頃出てみると、機動隊みたいな人達が人員整理に四苦八苦していた。中国人は、人は多いのに警備するのは下手だった。ただ立っていて何もしていない人が大量にいた。そうこうしている内にバスに乗り込み、会場の門を抜け、市街地を走り抜けるが、既に街には人気がなかった。なんかがっかり。バスが停車し、それぞれ解散することになった。ツアー客のうち、飲み会に参加する人達はツアーバスに乗り込み、中華料理店に直行。勝利の美酒を味わいながら中国料理に舌鼓。コース料理が出てきてみんなの舌に合う物、合わない物がはっきり分かれ、ほとんど手に着けない皿もあった。
3時過ぎ、ホテルに戻ると、中国?日本政府?大使館?が手配したと思われる護衛官1名いて、一緒にエレベータに乗り、部屋まで案内?護衛してくれた。
4時就寝。あっーーーなんて長い一日だったんだー。これでもまだまだ書き足りないけど。